« バイク乗り | トップページ | へび。 »

言葉と感覚と。。。

777
EPSON R-D1 with Voigtlander APO-Lanthar 90mm f3.5

 今更ながら、この歳になってやっと自分のある部分がわかったりする。なんとも恥ずかしい話だ。しかし、その「ああ、そうか、わかった。」という感覚を言葉にしようとするとまた難しい。べつに「ああ、オレは○○のときに、つい△△しちゃうんだなぁ。」という風に言葉がアタマに浮かんできてわかるわけではなく、ことばになる一瞬前に感覚として「とんっ。」と出てくるのだ。それを言葉にするとその「とんっ。」が言葉によって上書きされてしまって、オリジナルの「とんっ。」と微妙にズレている気がするのだ。それが言葉の限界なのかも知れない。まぁ、日常的には特に不自由はないのだが、これと同じようなことが実は日常茶飯に起こっているのに気づくときがある。よくあるのが、ある事に対して最初は反対意見を持っていたわけではないのに、誰かが賛成の立場であることを言い出すと、バランスをとるためだか何だかわからないが、「でも・・・・」と反対の意見を軽く出してみる。この時点ではまだ自分の立場は明確に反対に立っているわけではないが、相手が「いやそれは・・・」と言い出して反論し、「それはわからないではないが、しかし・・・」などとこちらが受けるといつの間にか自分はそのことに対して反対意見を持っている人になってしまっている。自分でもなぜか最初から反対意見を持っていたような気になっていたりする。私だけか?そんなことはないと思うのだが。。。
 横道にそれた。この歳になって自分のことがわかった、という感覚だが、その「とんっ。」というのを頼りに生きていければいいのに、と思う。あまり「オレはどういう人間なのだ?」とか、「オレは何をやりたいのだ?」とか、「オレには何がいちばん合っているのだ?」とかいわゆる「自分さがし」みたいなことはやらない方がいい。それも言葉にすぎないのである。何が好きか?は感じるもので考えるものではない気がする。必死にやれ。真剣にやれ。必死で真剣な人は悩まないし、自分に迷わない。そんな余裕があるわけない。

|

« バイク乗り | トップページ | へび。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 言葉と感覚と。。。:

« バイク乗り | トップページ | へび。 »